作並温泉の歩み

千年前から湧き続ける湯。
歴史の深さに、私も浸かる。
仙台市街地から車で約40分。古くから仙台の奥座敷として称された作並温泉。仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(関山街道)に位置しています。その由来は歴代仙台藩主のかくし湯と伝えられており、寛政八年(1796年)の開湯以来、さまざまな文化人を始め多くの人々が訪れ、今なお愛され続けています。肌にやさしい泉質と豊富なお湯から「美女づくりの湯」とも言われており、露天風呂や岩風呂、立ち湯など各旅館の多彩な湯めぐりがお楽しみいただけます。

作並の道~関山街道~

山形-川崎間の笹谷街道、山寺-秋保間の二口街道と並び、山形と仙台を結ぶ道の一つだった関山街道は、現在の国道48号線にあたります。明治初期までの関山街道はその急峻さゆえ“峯渡り”と恐れられ、物資の輸送は人夫が担っていましたが、明治15年(1882年)に県境を通す関山トンネルが竣工。その後昭和に入ると交通量の増加に対応するため、さらなる整備が進められ、現在の新関山トンネルが開通しました。現在も山形と仙台を結ぶ重要な道路となっています。

作並ゆかりの文化人

寛政八年(1796 年)の開湯以来、さまざまな文化人に愛され続けてきた仙台の奥座敷・作並温泉。明治の俳人・歌人で ある正岡子規は、仙台や塩竈、松島観光ののち作並温泉に投宿した旅行記「はて知らずの記」を残しています。また荒城の月の作詞で有名な仙台生まれの詩人・土井晩翠も、作並温泉をこよなく愛した一人です。さらには画家・岡本太郎の父で漫画家の岡本一平、吉田茂の側近・白洲次郎など、ほかにも数多くの文化人がこの地を訪れ、名湯に癒されていたようです。

仙台の奥座敷

肌にやさしい泉質と、豊富なお湯、多彩な湯めぐりが楽しめることで人気の美女づくりの湯・作並温泉。仙台の奥座敷と称され、古くから地元の人はもちろん、前述した文化人をはじめ、その湯を求めて遠くからも多くの人が訪れていました。かつて芸妓文化が華やかだった時代には、置屋も点在しておりました。

開湯物語

作並温泉には2つの伝説が残されています。1つは奈良時代、高僧・行基が東北地方行脚の際に、渓流の響きとともに聞こえてきた仏法僧の鳴き声に誘われて森の斜面に降り立ち、湧き立つ白い湯気を発見。その効能と湯浴みの仕方を広く人々に伝えたとされる説。そしてもう1つが鎌倉時代、源頼朝が藤原氏討伐の際に、傷ついた鷹が温泉につかり元気に飛び立つ姿を見て温泉を確かめたとされる説です。いずれも名湯作並温泉の発見伝説として、語り伝えられています。
その発見後、一部の人だけに秘されてきた作並温泉でしたが、地元の住民・岩松寿隆(喜惣治)がこの温泉を開き、世の人々に分かちたいと藩に切願。寛政八年(1796年)仙台藩主・伊達斉村公の時、この願いが叶えられ、喜惣治は巨木を倒し、蔦を刈り、岩山を割り、道を開きました。さらに谷底に下りる急斜面に階段をつくり、湯壺が完成した時には8年もの歳月が経過。こうして開湯に至った作並温泉は、今なお多くの人々に親しまれています。
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